本渡瀬戸航路


本渡瀬戸航路について

潮の満ち引きに関係なく安全に船が通れるように航路を開削

本渡瀬戸は、熊本県の南西部に位置する天草諸島の上島と下島に挟まれた幅のせまい海峡です。

この瀬戸は、有明海(島原湾)と八代海(不知火海)の間を延長約5kmで結び、古くから長崎県や有明海沿岸から八代海沿岸及び鹿児島県へ至る海上の最短ルートとして、経済的にも、また観光的にも重要な役割を果たしてきました。しかし、干潮時になると最も浅い場所では歩いて渡ることも可能なほど浅く、船の航路としては大変不便だったため、地元町村会による瀬戸開削期成会の陳情により昭和29年度から国の事業として航路整備(水深3.0m、幅員30m)を開始し、昭和36年3月に完成しました。

しかし、完成後は予想以上の船舶が航行し、船型も年々大型化してきたことから、昭和39年度から航路の幅を広げる工事(幅を50mに拡大)を開始し、さらには昭和43年度から水深を深くする工事(水深4.5m)を開始し、昭和55年度に工事を完了させました。

海と陸の交通が高架橋と可動橋で分離され、スムーズに

従来、天草上島下島間の自動車等の通行は旧瀬戸橋(跳ね上げ式可動橋)が利用されていましたが、船が通過するたびに道路が遮断され不便でした。そのため昭和49年度に船の航行の邪魔にならない高さの天草瀬戸大橋(ループ橋)が開通し、船と車が同時に行き交うことが可能になりました。また、歩行者が利用していた旧瀬戸橋は航路の工事の障害となるため撤去されることになり、代わりの橋として瀬戸歩道橋(通称「赤橋」。昇降式可動橋)の建設を開始し、昭和52年度に完成しました。昭和49年7月に航路部分が国の開発保全航路の指定を受け、昭和54年5月に航路の保全のために護岸の補強が必要になり陸域部分まで追加指定を受けました。

航行する大型船の航跡波による反射波の他船への影響対策や越波による周辺の家屋・護岸の安全性を向上させるため、昭和62年度より直立消波構造による護岸改良工事を開始し、さらには平成17年度から護岸上部の改良として防護柵等の工事を開始し、平成21年度に完了させました。

現在は、航路保全管理業務の一環として、老朽化した護岸の改良及び航路内の土砂撤去工事を行っています。

陸域を定める告示(昭和四九年運輸省告示二七九号) 図面の縦覧 

港湾法施行令別表第二第十一号の国土交通大臣が定める陸域

本渡瀬戸航路のあゆみ

年月日
昭和26. 4 天草町村会の発議「瀬戸開削期成会」結成
旧運輸省に陳情
昭和29年度~35年度 航路開削第1期工事(水深-3m、幅員30m)
昭和39年度~45年度 航路開削第2期工事(水深-3m、幅員50m)
昭和41. 9 天草五橋開通
昭和46年度~55年度 航路開削第3期工事(水深-4.5m、幅員50m)
昭和49. 7 開発保全航路指定
昭和51年度~52年度 瀬戸歩道橋工事(昇降式)
昭和54. 5 開発保全区域(陸域部)追加指定
昭和56年度~61年度 保全管理業務(監視パトロール、管理測量)
昭和62年度~平成21年度 保全管理業務(監視パトロール、管理測量、護岸改良工事、防護柵等工事)
平成22年度~ 保全管理業務(監視パトロール、管理測量、護岸改良工事〈老朽化対策〉、航路土砂撤去工事)

瀬戸歩道橋

初代の旋回橋(大正12年~)
二代目の跳開橋(昭和33年~)
三代目の昇開橋(昭和53年~)

航路護岸の補強・改良

工事の状況・完了写真

直立消波ブロック据付状況
被覆ブロック据付状況
工事完了状況
工事完了状況