日本書紀によると、その昔神功皇后が三韓(その時代朝鮮半島を支配していた、新羅・百済・高句麗の三国)征
伐をすることになり、下関市長府に宮を置き、戦勝祈願をしました。 すると、海の中から住吉の神が現れ、龍神
から「干る珠・満ちる珠」を借りるよう告げました。 この2つの珠は、潮の満ち引きを自由に操ることのできるもの
でした。 最初の対戦相手の新羅海軍は、大軍を擁して日本に攻めてきましたが、まず神功皇后は沖に向かって
干る珠を投げました。 すると、たちまち海は干上がり、新羅軍はやむなく船をすて、歩いて攻め寄せてきました。
もう少しで陸地だというところで皇后が海岸近くに向かって満つる珠を投げると、今度はみるみるうちに潮が満ち
てきて、新羅軍の兵士はおぼれてしまいました。 その後皇后は朝鮮半島へ渡って戦いに勝利を収め、山口県長
門の浦に凱旋すると、龍神に感謝して戦勝祝いの儀式を執り行いました。 そして2つの珠を龍神に返すべく静か
に海に沈めると、その海域に2つの島が浮かび上がってきたと伝えられています。 その2つの島が、下関市沖に
今も浮かぶ「満珠・干珠」の島々だと言われています。 この2つの島はどちらが満珠で干珠であるかはっきりとし
たことは決まっておらず、2島まとめて「満珠・干珠」と呼ばれているようです。