鎖国から開国へ ~富国強兵と国内経済の発展~

 関門海峡整備事業は、明治43年(1910年)8月に着手されました。 着工当時の関門海峡は、いち早く開港し

外国航路を開始してめざましい成長を見せていた下関港や、九州鉄道株式会社の設立にともない、石炭の積

出港として急速に発展しつつあった門司港、さらには官営八幡製鉄所の設立により工業港として重要性を増し

つつあった若松港といった、日本の黎明期を支える重要港湾を背後に抱え、通峡船舶数は増加の一途を辿っ

ていました。 しかしながら、せまい海峡の中に浅瀬や岩礁が多数点在していたこと、潮の流れが極めて速い

ことから海難事故が後を絶ちませんでした。 このような情勢を背景に、明治40年(1907年)関門航路は、下関

港・門司港を含めて第一種重要港湾に指定され、明治43年内務省直轄工事として第一期改良工事が開始さ

れたのです。

                           <明治末期の門司港全景 北九州思い出写真館より> 

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